2015年3月28日

映画が始まるまで渋谷のスタバで暇つぶししている

スタバでの飲み物は席料を含んでいて、原則としてそれは飲み干してしまわない限りは効力を発揮する。ラーメン屋におけるラーメン、マクドナルドにおけるハンバーガーなども同じことである。そういう暗黙のルールがある。少なくとも僕はそれを敏感に感じ取り、雁字搦めにされている。だから貧乏な僕はスタバに居座ろうとするとき、出来る限りゆっくり、ちびちびとついばむように飲まなければならないのだが、いやはや。

飲み干してしまった。キャラメルマキアート。

うっかりしていた。読んでいた穂村弘のエッセイ「本当はちがうんだ日記」が面白かったのだ。そっちのほうに気を取られて現実世界でのルールを失念していた。

今日はこれから映画のレイトショーを控えていて、まだ数時間はここでじっと息を潜めていなければならないのに。ほかのカフェに移ろうかとも思ったがすぐにその考えは打ち消される。今僕がいるスタバにたどり着くまでに通り過ぎた数々のカフェはどこも席が埋まっていたのだ。他に時間を潰す場所も知らないので、僕はまだこのスタバの座席を死守しなければならない。死活問題である。
コーヒー一杯もそんなに安くないが、仕方がない。もう一杯買おう、と思い立つ。

さて、ここは二階。飲み物を買うには一階にあるカウンターまで降りなければならない。当然、席を離れている間にそこが他の誰かに奪われてしまわないように、席をとっているという証拠を椅子かテーブルに置いておく必要がある。今ここにあるものでいえば、例えば上着とかカバンとか文庫本とか、そういったものである。

だが、ちょっと待てよ……。

ここで僕の頭脳は新たな障壁に思い至った。

ここは渋谷だ。甘く見てはならない。東京の中でもとくべつラブホテルや吐瀉物にあふれた魔都シブヤなのである。

こんな場所で荷物を置いたまま席を離れるということはすなわち自ら「盗んでください」と言っていることと同じなのだ。たとえそれが国内店舗数千を数える全国チェーンのスタバといえども、である。

僕は試されているのだ、と思った。
僕がどれだけ渋谷という街を許せるか。渋谷から見れば闖入者たる僕を、この派手なネオン彩る街が試そうとしている。

誇大妄想だろうか。

そうは思えない。

周りを見回すとそこには、ひときわ大きな声で家族と思しき人たちに向かって女性の性生活について語る小学生男子の姿があり、かかってきた電話に対して落ち着き払った声で「スマホの充電が残り一パーセントしかないんですが」と前置きをする好青年、日焼けたペーパーバックを読み耽るスキンヘッドの外国人。

魔都だ。僕はそう思った。

こんな光景ほかでは見ない気がする。それともたんに今僕が渋谷にいるという事実が見るものすべてを渋谷っぽく見せているだけなんだろうか?昔、ハワイアン料理の店に入った時にテリヤキハンバーガーを食べた時に「ハワイっぽい」という感想を漏らして失笑を買った僕なら、そんなこともありそうに思える。でもやっぱりここにある空気はどこか僕の住んでいる街のスタバとは決定的に異質なのだ。僕はそれをはっきりと言葉にすることができないのだが、肌では確かに感じている。

ここは渋谷だ。

だが、僕はそれを許そうと思う。性談義に厚い小学生男子も落ち着いた好青年もスキンヘッドの外国人も悪くない。僕が渋谷に対して抱いているイメージは勝手な偏見である。一部の過剰なニュースが僕の渋谷ビジュアルを歪めているだけに違いない。真の姿は清らかであるのかもしれない。僕はそれを確かめる必要がある。

僕は財布とスマホだけをポケットに突っ込んで、席を立った。カバンや文庫本は椅子とテーブルに置いたままである。心臓がやけにばくばく鳴っている気がする。僕は「千と千尋の神隠し」のラストでトンネルを抜けていく千尋になった気分で階段を降りた。

「アメリカーノ、えーと、アイスで」
「サイズはどうされますか?」
「えーと、ショートで」

若い女性店員はこんな僕にも終始笑顔を向けてくれていた。こんなに可憐な笑顔はなかなか見ない。日常生活で僕に笑いかけてくれる女の子なんてほとんどいないのだ。僕はときめいた。僕は自分を単純なやつだと思った。でも、ひょっとすると女の子は僕のその単純さを見抜き、それを可愛い〜♡とかなんとか考えているのを笑顔に滲ませているのではないだろうか。特別な意味を持った笑顔なのだ、と僕は思った。嬉しくなった。

それから聞き取ったはずの商品の金額を忘れて「いくらでしたっけ?」と聞き直すなど、やりとりにもたつきはあったものの、なんとか僕の手にカップ一杯のコーヒーが渡された。その時の店員さんの笑顔もまた輝いていた。

そのとき僕は、渋谷に許されているのだ、と思った。渋谷を許してよかった。この判断は間違っていなかったのだ。

そのまま二階に戻ってまずは失われている荷物がないかどうか確かめたが、問題はなさそうだった。オチがつかなくて残念だ、という冗談も安心の前には塵に等しい。小学生も外国人も僕の敵ではなかったのだ。好青年は姿を消していた。どこかスマホの充電ができる場所に移ったのかもしれない。

安心でいっぱいだった。僕はこの経緯を幸福とともに文章に起こそうと思い立ち、スマホをいじくった。僕の最近買い換えたばかりのスマホはまだ八十パーセントくらい余力を残していた。そうして書いているのがすなわちこの文章である。いつの間にか時間は経過していて、そろそろ店を出なければいけない時間なのだが、いやはや。

今度は買い足したコーヒーを飲むのを忘れていた。カップいっぱいに残って溶けた氷で薄くなったそれを一気に飲み干しながら、僕はこれが尿意にならなければよいのだが、と考えた。これから僕は映画を見に行くのだ。わざわざそのために茨城県から東京までやってきたのだ。飲まないという選択肢は飲み終えてから思い至った。僕は迂闊なやつだ。でも仕方がない。

映画館についたらまずはトイレに行こう、と思った。映画鑑賞は確かに尿意との戦いという側面を持っていると僕は考えているが、そういうことを映画を見ている最中にはあまり考えたくないのだ。

これから観ます。
映画「僕たちは上手にゆっくりできない。」
楽しみだ。

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